KAKA
こんにちは、KAKAです!
今回は、「もっと気楽に生きるために|心ととのう、考え方のコツ」 として、
じぶんの経験から得た知見をおはなししていこうと思います。
この記事がおすすめな人は……
- 「考えるばかりで、なかなか行動できない…」という真面目な方
- 「努力は続けてきたけれど、そろそろ限界かもしれない」と不安を抱えている方
- 「こんなに頑張っているのに、誰も褒めてくれない/報われない」という不満を感じている方
ここに書いたことはすべて
「私の経験からうまれた気付き/考え方である」ということを、お約束します。
何年にもわたって、じぶんが生きやすくなるために書き溜めていたことの中から、特に「これぞ!」というものだけをまとめてみました。

よかったら、コーヒーをいれて一人時間のおともに読んでみてください。
この記事のどれか一文でも、あなたの「気楽な生き方」を後押しできたなら、
こんなにうれしいことはありません。
今までの選択は、すべて最善だった
今のじぶんに足りないもの、不満なこと。
それらすべて、「あの時、ああしていたら」叶っていたはずなのに……。
後悔するとき、人はなぜか選ばなかったほうの人生を美しく想像してしまいがちです。
もうひとつの世界線で生きる「夢のように幸福なじぶん」を想像しては、
現実との対比にがっかりして……。
けれど、本当にそうでしょうか。
「あのとき別の道を選んでいたら、きっと幸せになっていた」のでしょうか。
いえ、むしろ今よりも過酷な人生が待っていた可能性もあります。
これまでも、生きていくうえで『こっちが正解だ』と信じた道を、ひとつひとつ選んできたはずです。

あのとき間違えてしまったこと、歩みを止めてしまったこと、向こう見ずに動いてしまったこと
それらすべてが、ひとつ残らず正解だったに違いありません。
いまはそう思えなくとも、これからのあなたが、きっと正解にしてくれるはず。
「過去のすべてを正解にする」という意識でいることで、目の前のじぶんの行動一つひとつが、よりいっそう信じられる気がしませんか。
「ないものねだり」ではなく、「在るもの誇り」
自分の足りない部分をめざとく見つけ、「私はなんてダメなんだろう」と落ち込む。
けれど、すでに持っているものや在るものには目を向けず、それを慈しむということをしない……
うまくいかない時はなおさら、こんな思考に陥ってしまうもの。
けれど、あなたがすでに手にしているものは、他の誰かからみれば喉から手が出るほどほしいものかもしれません。
私はたまに立ち止まって、想いを馳せます。
KAKA
過去のわたしが、今のわたしを見たらどう思うだろう…?
自分語りで恐縮ですが、私は大学時代、東京に出て俳優になりたいと考えていました。
もっともっと若いころは、声優を志して養成所に通っていたこともあります。
私生活でいうと、子どもは絶対にほしかった。
そしてかっこいい女性になって、好きなことを仕事にするぞと心に決めていました。
結果的に、当時の幼い私からみても、いまのじぶんは想像も及ばないほど幸福だろうと思えます。
上京し、主演で舞台に立たせてもらい、ナレーションというかたちで声の仕事も達成できました。そして、双子の男の子にも恵まれている。上出来です。これ以上、足りないことは何もないはずです。
けれどなぜでしょう。
ふとした瞬間に、「今の私にないもの」を求めてしまうことがあります。
そんなモードに陥りそうになるたびに、「そんな馬鹿なまねはやめること!」と、私は頭を振りはらいます。
まずは、すでにじぶんを形成しているすべての価値を抱きしめるべきです。

より一層の高みを目指し、更なるじぶんを追い求めるのは、それからでも遅くはないはずだから。
ないものをねだるのではなく、すでにそこに在るものをどうか誇ってください。
正直でいようとするのではなく、格好つけないでいよう
「正直であろう」とはよく言うものの、それって実際どうすればいいのだろう……。
私はこれまで、幾度もそのことについて悩まされてきました。
できることならありのままでいたいし、思ったことをそのまま伝えたい。それも、角の立たないかたちで。
しかし、素直であろうとすればするほど、「素の自分」を演じているようなきもちになります。
ほんとうの自分って、そもそもなんだろう。これは、本当にじぶんの本音なのだろうか。
堂々巡りで自分のこともわからないじぶんに、また嫌気が差したりして……
そうしてもがいていたある日、私はふと気付きました。
「恰好つけるのをやめよう」と。
すると途端に肩の荷がおりて、スッと楽になったのを憶えています。
ひとは恰好つけているつもりはなくとも、どこかで常に意識を張っているものです。
「よく見られたい」「こう思ってほしい」「こう捉われたくない」
いろいろな呪縛がはたらいて、発言や行動を制限します。
その意識を解き放って、まずは楽に息ができる状態をめざします。
ダサいところ、うまくいかなかったところ、ひょうきんなところ。
それらすべてをさらけ出して、きゃららとあっけらかんに笑えた瞬間、
ほんとうの意味で自分をまるっと愛することができるのではないでしょうか。
時間を有意義に過ごすには、時間を忘れて過ごすこと
子どものように、時計をみるのも忘れて夢中になってしまうこと。
大人になってしまった私たちも、そんな時間の素晴らしさを思い出すべきではないでしょうか。

もちろん、すべてを放擲して何時間も趣味に没頭することは、物理的にはむずかしいかもしれません。
けれど、一日のなかでたった数分だけでも、「時間を忘れて過ごすこと」の有意義さと心愉しさを味わってみませんか。
大人が、シングルマザーが、会社員が、
『わくわく』に熱中することは、けして悪ではありません。むしろ善です。大正解です。
大きな声ではひとに言えないような、気恥ずかしい趣味でもいいんです。
ただただ、じぶんだけが喜ぶ時間。
ほんの少しだけ、取り戻してみませんか。
それ、「死ぬ瞬間」に思い出す?
仕事や私生活、大小さまざまな場面で、
「この決断を下すのがこわい……」「この選択でいいのだろうか」
と逡巡してしまうような、厄介ごとってありますよね。
そんなとき、もちろんはじめは不安が勝るものですが、いちど立ち止まって、こう想像するようにしています。
「この不安や恐怖って、『死ぬ瞬間』に思い出すだろうか」
その答えは、たいてい決まっています。
この方法は、判断に迷うときや一歩踏み出すのがこわいとき、とくに効果を発揮します。
なにごとも、直面している最中はとても大きな問題に思えますが、喉元すぎればほとんどのことは大したことありません。
すべてはそうあるべきだった
すこし精神的なお話なのでひとを選ぶかもしれませんが、
私は、偶発的なできごとに関して「すべてそうあるべきだった」と考えています。
たとえば、
「急いでいるのに、目の前で電車が出発した……!」
「ただでさえ荷物が多い日に、雨が降りだした……」
こういった出来事はなぜか、落ち込んでいるときや焦っているときに限って、追いうちをかけるように起こるもの。
けれど私は、すべての出来事や事象には、そうでなければならなかった意味がある/理由があると信じています。
急いでいるときの電車や信号なんかはとくに、
「私があわててかけこんでいたら、事故に遭っていただろうな」と本気で思い込んでいます。
じぶんにとって都合よく解釈することは、身のまわりで起こるすべてをポジティブに捉える習慣に繋がります。
結果として、運を味方につけることができるのです。
今のじぶんにできる「最大限の努力」を知る
私は双子を産んでから離婚し、現在シングルマザーとして生活をしています。
子育て以外にも、仕事や生活はあたりまえにこなさなければなりません。
そんななか、こんな悩みが出てくることも。
KAKA
スキルアップを目指したいのに、どう頑張っても一日に30分しか時間を捻出できない……
あまりに僅かな時間しか自己研鑽にあてられず、焦りや不安につながります。
ただ、事実として、今のじぶんに捻出できるのは、その30分だけ。
嘆いたところで、その時間が増えるわけではないのです(むしろ減ります…)。
独身時代、誰にも邪魔されずひとりで過ごす三時間。
子どもを寝かしつけてからようやくできる、貴重な30分間。
圧倒的な時間量の差がありながら、以前とまったく同じパフォーマンスをじぶんに期待していた自分に気が付きました。けれど、それは現実的にかんがえて無理な話です。
だからこそ思考を変えて、
『30分なりの100%で頑張ろう』と考えるようにしたのです。

「仕事と家事と子育てをしながら、以前のように三時間がんばろう」
ではなく、
「いまの生活のなかでどうにか捻出した30分で、最大限の努力をしよう」という発想。
健全な心身で前に進みつづけるために、とても大切にしている考え方です。
さいごに
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
自分のために書き残しておいたことばたちが、どれかひとつでもあなたの心に触れることができたら。
そう祈りながらこの記事を書きました。
ライフハック、気付き、哲学、考え方。私は、そういった類に目がないです。
これからも、自分なりに生きていくなかで「これは誰かの役に立てるかもしれない」と思ったことを共有していきたいと思っています。
私のことばが、少しでもお役に立てたら幸いです◎




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